大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 平成11年(ネ)3606号 判決 2000年6月27日

控訴人・被控訴人(以下「一審原告」という。) A野太郎

<他2名>

右三名訴訟代理人弁護士 大津卓滋

被控訴人・控訴人(以下「一審被告」という。) A野竹子

右訴訟代理人弁護士 須田徹

同 垣内惠子

主文

一  原判決主文第一項を取り消す。

二  遺言者亡A野太郎にかかる平成四年六月九日付け東京法務局所属公証人D原梅夫作成の平成四年第六六三号遺言公正証書が無効であることを確認する。

三  一審被告の控訴を棄却する。

四  訴訟費用は、第一、二審を通じ、一審被告の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一  一審原告ら

主文と同旨。

二  一審被告

1  一審原告らの控訴を棄却する。

2  原判決主文第二項を取り消す。

一審原告らは、一審被告に対し、各自、金一四三〇万円及びこれに対する平成六年六月一日から支払済みに至るまで年五分の金員を支払え。

3  訴訟費用は、第一、二審を通じ、一審原告らの負担とする。

第二本件事案の概要

本件事案の概要は、次のとおり、補正するほかは、原判決の「事実及び理由」欄の第二項記載のとおりであるから、これを引用する。

1  原判決八頁八行目の「平成四年第六六三号」を「平成元年第四九号」に改める。

2  同一〇頁四行目の「本件相続開始前」を「本件相続開始後」に改める。

3  同一一頁四行目の「存在し」を「存在するところ、同遺言書には、『本人が署名押印できないので本職代書する。』との記載がなされており、亡太郎が本件第二の遺言書作成当時署名できないとして、D原公証人が、亡太郎の署名を代行したものであり、」に改め、同六行目の次の行に「(1)本件第一の遺言を全部取り消す。」を加え、同七行目の「(1)」を「(2)」に、同八行目の「(2)」を「(3)」にそれぞれ改める。

4  同一二頁八行目の「相続人A野松夫」、同一〇行目から一一行目にかけての「相続人松夫」及び同一一行目の「同相続人」をいずれも「一審原告松夫」に改める。

5  同一三頁九行目の「家(イ)」を「(家)」に改める。

6  同一四頁一行目の「家(ロ)」を「(家ロ)」に改め、同一一行目から同一五頁一行目にかけての「催告書」の次に「により」を加え、同四行目の「(家ロ)」を「(家ロ)」に改める。

7  同一九頁九行目の「七名」を「六名」に改める。

8  同二一頁九行目から一〇行目にかけての「亡太郎からその運営を引き継いだ医療法人太郎会の運営資金調達の必要上」を「亡太郎の借財を返済する必要上」と改める。

第三当裁判所の判断

一  遺言無効確認請求(甲、乙事件について)

1  意思能力の欠如について

(一) 一審原告らは、本件第二の遺言当時、亡太郎は、意思能力を欠いていた状況にあったから、同遺言は無効である旨主張する。

そして、右遺言当時前後の亡太郎の精神状態について、甲一四(一審原告二江の陳述書)によれば、平成三年秋ころの亡太郎の精神状態は、食事や入浴をしたことを記憶できず、すぐ忘れてしまう状態であった旨記載されており、甲一五(一審原告松夫の陳述書)によれば、平成三年末頃、亡太郎は、発語がほとんどできなくなって、会話の中に入ってくることができず、始終ぼーっとしていた、平成四年秋には、意識の低下が著しく、言葉を発することはなく、一審原告松夫が話すことを殆ど無視していないのではないかというような頼りない反応であった旨記載されている。また、昭和五〇年ころから平成九年八月までA田病院に勤務し、亡太郎の診療を担当していた医師D野秋夫(以下「D野」という。)も、本件第二の遺言当時の亡太郎の症状として、脳の循環が悪く、脳梗塞、あるいはぼけの症状があり、脳の代謝を改善するための投薬をしていた、さらに、脳の代謝が悪く、喘息様気管支炎に罹患し、呼吸が終始困難で、全体的な抵抗力も弱まっていた旨証言している。右の各証拠は、いずれも一審原告らの右主張に沿う内容となっている。

(二) しかし、《証拠省略》によれば、本件第二の遺言の前後における亡太郎の精神的、身体的状況について、以下の事実が認められる。

(1) 治療経過について

① 亡太郎は、平成元年一月二八日、E原病院に入院し、同年二月一四日、心臓バイパス手術を受け、同年三月一一日、退院した。

② 亡太郎は、その後の同年四月五日、同病院の胸部外科、同月六日、循環器内科、同月一二日、胸部外科、同月二七日、循環器内科、同年五月一日、循環器内科、同月一一日、手(左手)の動きが悪いとして神経内科、同年六月一五日、循環器内科にそれぞれ通院し、同日以降平成三年三月一〇日まで、心臓と糖尿の投薬を受け、同月一一日、心臓と糖尿の検査と投薬のため循環器内科に通院した。

そして、同人は、同年四月一日、糖尿検査のために入院し、同月一八日には退院したものの、同年五月二日、循環器内科、同年六月一九日、胃の具合が悪いとして消化器科に通院してそれぞれ治療を受けた。

③ 同人は、同月、A田病院で投薬を、平成四年一月、同病院で投薬と点滴を受け、同年一〇月八日、後記(2)⑥の旅行の際、体調を崩してE山病院に入院、翌九日、退院した。

④ 同人は、平成五年一月九日には、食事を受け付けなくなったため、A山病院に入院し、同年二月二日、退院した。

⑤ 同人は、さらに、同日、E原病院に入院し、同年七月一八日、同病院で死亡するに至った。

(2) その間の行動状況について

① 亡太郎は、前示のとおり、平成元年二月に心臓のバイパス手術を受けた後の平成四年四月二四日、那須ビューホテルに宿泊し、翌二五日には、那須オルゴール美術館のオープン披露パーティーに出席している。

② 同人は、同年六月一日及び二日の両日、知人六名とともに伊東の那古野旅館に宿泊している。

③ 同人は、同月一〇日、知人五名と八ヶ岳の別荘に宿泊している。

④ 同人は、同年七月二日、ホテルニューオータニで行われたピアノのコンサートに出席し、演奏者と夕食をともにしている。

⑤ 同人は、同月二七日及び二八日、知人五名とともに八ヶ岳の別荘に宿泊している。

⑥ 同人は、同年一〇月七日及び八日、知人三名とともに伊豆清流荘に宿泊している。

(三)(1) 一方、《証拠省略》によると、A田病院における亡太郎の主治医であったD野は、平成四、五年当時、亡太郎と会話も交わしており、また、亡太郎が同病院の院長という立場にあったことを考慮しても、カルテには、亡太郎にぼけ等の症状があったとの記載は一切なされていないこと、さらに、亡太郎は、大半は、同病院の病室にいたが、理事長印を押印する場合があったから、一応は、医療法人太郎会の理事長あるいは右病院の院長としての執務もしていた可能性もなくはないことが認められる。

このような事情に、右2(二)認定の事実を総合すれば、確かに、亡太郎は、心臓バイパス手術後、相当程度、気力、体力が弱まっていたことが認められるものの、その後の亡太郎のE原病院における治療の内容は、主に心臓及び糖尿病に対するものであって、格別精神疾患や神経疾患に対する治療や投薬がなされていたとは認められず、他方、旅行やコンサート等へ出かける程度の健康状態は保持していたというべきである。

(2) そして、《証拠省略》によれば、医師B川冬子は、A田病院における診療録(《証拠省略》)に基づく亡太郎の平成四年五月九日から同年七月二七日までの状態については、主として、喘息の治療がなされて、他に、糖尿病、便秘症、脳血栓後の左片麻痺に対する治療などがなされているが、アルツハイマー病あるいは痴呆症状などの記載はなく、従って、その治療が行われていないと考えられる旨判断している。

(3) 加えて、《証拠省略》によれば、C原病院脳神経外科部長の医師D田一夫は、前記D野の亡太郎にはぼけ等の症状がみられたとの証言内容について、亡太郎の記銘力や認知能力あるいは失見当識等のどの部分に障害があったのかについて、医学的な具体性に欠ける一方、A田病院において投与されていた薬剤から考えて、亡太郎は、気管支喘息の小発作あるいは気管支肺炎の発生と寛解とを繰り返していたと考えられ、また、左上肢麻痺については、明らかな脳梗塞発作があったようではなく、徐々に進行していった小さな脳梗塞、いわゆる多発性脳梗塞、ラグナ梗塞といったものによる麻痺と考えられるとし、結論として、亡太郎が痴呆状態を呈していたとすることは納得できないとしている。

(四) 以上の事情に照らせば、亡太郎について、その意思能力に著しい低下があったものとは認め難いというべきであり、これに反する前掲甲一四、一五及びD野の証言、さらには、いずれも、本件第二の遺言後に作成された甲三(頭部―CTSCAN―読影)及び四(一審原告一郎作成の診断書)は、いずれも採用し難く、他に、この点についての一審原告らの主張を認めるに足りる証拠はない。

2  方式違背について

そこで、本件第二の遺言について、その作成に当たった公証人D原が、亡太郎に代わりその署名を代書したことが、民法九六九条四号にいう「遺言者が署名することができない場合」に該当するかどうかについて検討する。

(一) この点について、乙二〇(D原の陳述書)によれば、D原公証人は、亡太郎が、第一の遺言の際は、自ら署名したのに、今回は「字が書けなくなった。」といって署名しようとしなかったように記憶している。そして、亡太郎が字を書けなくなった理由について何といったか、また、本人に署名させるためにどのようにいったか等については、日時の経過によりはっきりと思い出すことはできないとしている。

(二)(1) 一方、一審被告は、亡太郎は、いつのころからかは不明であるが、麻痺のある左手がぶつかると痛いので、右手でかばっていた状態であり、そのようなことから右手で字を書かなくなった、ただ、ご飯の時は自分で箸を使っていた旨供述する。

(2) しかし、《証拠省略》によれば、一般論として、脳血栓により、片側の麻痺は起こっても、両側麻痺との事態は起こり得ず、亡太郎にも、右手に麻痺はなく、右手で字を書く気になれば、書けたし、また、コップが持てたので、鉛筆も持てたことが認められる。

(3) また、甲一五(一審原告松夫の陳述書)によれば、亡太郎の手の機能について、左手はリウマチにより不自由であったが、右手は普通に使うことができ、食事も自分で箸を使って食べていたことが認められる。

(4) そして、《証拠省略》によれば、本件遺言書作成の八日前の平成四年六月一日に写真撮影された亡太郎の状況は、実際に、右手でグラスを口元に運び、水を飲んでいることが認められる。

(三) 以上の事情及び前示一の亡太郎の精神的、身体的状況に照らせば、乙二〇及び一審被告の前記供述部分は、にわかに信用できず、本件第二の遺言当時、亡太郎において、自ら署名するについて格別支障があったとは認め難いから、本件が、民法九六九条四号にいう「遺言者が署名することができない場合」に該当すると認めることはできない。

3  そうすると、本件第二の遺言書は、方式違背によって作成されたものであるから、無効なものというべきである。

したがって、一審原告らの遺言無効確認を求める請求(甲、乙事件)は、理由がある。

二  損害賠償請求(丙事件)について

当裁判所も、本件土地を購入したのが亡太郎であると認めることは困難であると判断する。その理由は、原判決の「事実及び理由」欄の第三項二と同じであるから、これを引用する。

また、仮に、本件土地を購入したのが亡太郎であるとしても、前示一のとおり、本件第二の遺言は無効であるから、一審被告が本件第二の遺言により本件土地を亡太郎から単独で取得したことを前提とする一審被告の一審原告らに対する丙事件の請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないことが明らかである。

三  よって、一審原告らの遺言無効確認請求は、認容すべきであり、これを棄却した原判決は相当でないから、その部分を取り消し、一審被告の損害賠償請求は、これを棄却すべきであって、これと同結論の原判決は相当であるから、その部分についての一審被告の控訴を棄却し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 鬼頭季郎 裁判官 慶田康男 梅津和宏)

<以下省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例